俳優や裏方に疎い人の所感

刀ミュ他2.5をのんびり追っかけてる人のただの感情

5/1 刀ミュ にっかり青江単騎出陣感想

誕生日に公演があると知ったのならチケットを取らなければならない。

審神者は誕生日現地入りという夢に対しての憧れが強かった。

そして手に入れたチケットは最前列であった。

審神者は黒マスクを持っていないため、黒マスクを手に入れなければならなかった。

 

当日。

午前は晴れていたが午後からは小雨のぱらつく天気であった。

会場に入り後ろから前へと進みながら、ここが……あれ?人が座ってるな?おかしいな?列番号違うな?一つ前空いてるな?でもその前に座席ないな??

と言うことで人生初の刀ミュ最前列になりました。でも、私の隣のお席が空いていたので……きっと涙をのんだ人もいたのでしょうね……。

ちなみに最前は今は亡きAiiAちゃんでのひらがな男子が最初で最後だったので、今回が二回目であった。

座席に座ってフェイスシールドを手に取り、はじめての刀ミュ公式フェイスシールドに挙動不審になる。

シールドにマスクの紐を通してマスクの紐とマスクでシールドを挟むという感じでよかったのだろうか……?

眼鏡審神者なのでこのタイプは眼鏡を直すのがめんどくさ……大変手間でした。でも写り込みは少なかったと思う。透明感高かった。

でも終わって外してみたらべしょべしょに泣いたせいか、下の方のマスクと接触してた部分にめちゃくちゃ水滴ついててびっくりしたよ。

開演前から天井から垂れた布に幽霊が映っていて流れる音楽もしっとりしていて雨という天候もあいまっていい感じのねっとり感のある雰囲気が完成していた。

 

ここからネタバレが始まるわけですが、その前に青江単騎の内容はとても「三百年の子守唄」「真剣乱舞祭2017」「葵咲本紀」「歌合 乱舞狂乱」に食い込んでくるので、こちらを視聴しているとより、より……きます。

 

 

雑に、雑にネタバレしていきます。

今回は作品の性質上、ミュージカルというよりは一人芝居の要素が大きいと思います。

あ、音響的なストレスは一切なくて、気持ちよく聞いていられました。

 

刀を抜いて、まず踊り始めた時に、いきなり刀を落としてしまっていたのにはびっくりしました。

刀の落ちた時のごとっていう音がすごく生々しく、重かった。

時間にして一秒か二秒くらい。

落ちて、見下ろして、ダンスを再開するまで。

ダンスの振り付け自体は音に合わせてるせいですごくハードに見えた。

 

歌合での講談に触れて「懐かしいね」からの鳥居元忠殿に触れてくれてありがとうございます。

血天井を残す程の凄惨な戦の跡が残る伏見城の戦いを、鳥居元忠という立場から見守りきらなければならなかった物吉くんの心に触れてくれてありがとうしかない。

物吉くんが鳥居元忠!?ってのはみほとせの頃からずっとあったから、あの最後に関して触れてくれたのは本当に嬉しかった。

本紀の時に元忠の急報を聞いたときの、なんともいえない感覚。激戦を終えたのか……と言う感慨。それをこうして語られるとやっぱり重いよなあと感じられた。

そしてそこで笑顔をなくした物吉くんがいたって青江が言うのも良かったな……。

その場に一応と駆けつけた青江が物吉くんが無理矢理浮かべた笑顔を見たというのもまた……。

そしてそれは青江こそが浮かべた表情というのがまた、ね……。

 

今回の青江単騎は修行の旅だけど、テーマとしては青江の役割とは?というのもあったように思いました。

にっかり青江の笑顔。

そこにいる意味。

そういうもの探し。

そして「ゆるし」のお話。

楽しかった話、つらかった話、そういうのと向き合いながら自分の力に逸話に、無力さに嘆く今と向き合っていくように感じた。

そして歌合へのアンサーでもあった。

 

今回は公演が秋田ということで、回替わりはいぶりがっこときりたんぽ。

大曲で「花火がないと寂しいよね」と今回中止になったらしい花火の話もしてましたね。

花火がない夏は、寂しいね。

なおこちらの画像はきりたんぽではなく「味噌付けたんぽ」だと思われる。

きりたんぽはあくまでも鍋料理のお名前のようですから。

 

みほとせの話で、竹千代の子守のお話もしてくれた。

蜻蛉切が子育て上手かった話で高い高いすると竹千代が喜んだってくだり、面白かった。

「本当に高かった」って何メートルくらい竹千代吹っ飛んでたのか気になりすぎる😂

そして槍の石突で高い高いすな!!(ツッコミ)

村正!!!お前だお前!!!

他人の武器を勝手に使うな!?!?(お叱り)

そんなことしちょメッでしょ!

しかしそれにも喜ぶ竹千代……なんという大物なのか……。

そしてトリカブトのほかに彼岸花と鈴蘭をあげていた村正。お前ェ。

「全部毒草だったけどね」は草不可避。

しかし彼岸花花言葉……。

ちなみに5月1日は鈴蘭の日なんですよ!!

私が誕生花で最初に知ったのは鈴蘭でしたね。

 

倶利伽羅に弟子ができたという話もしてくれた。

でも青江から見ると弟が二人、のように見えたの。

そして刀に慣れてない二人の手に肉刺ができてしまった時に大倶利伽羅が手を抜くのではなく、そっと稽古を調整していた。というお話。

倶利伽羅の優しさに愛しさが募っちゃうよね。

でも彼は冷たいわけじゃなくて、不器用なだけだから、とてもらしいなと言う気持ちにもなってなんだか極まって泣いちゃったよね。

在りし日の三人を見つめる姿……。

 

修行の道行に出会った名もなき花たちと戯れる青江。

イネイミヒタククレベルではないけど……これ大丈夫??審神者できる??

リズム感ない人にはこれきつくない??と思いました手遊びタイム!

「これを四回繰り返してね」って言われて(えっっ四回!?!?四!?!?)てビビり散らした。

手踊りで、にっかり青江と楽しく踊ろう!

 

てんてん手のひらのお歌が2017年以来に聞けて嬉しかった。

と同時に今回はソロだからデュエットってやっぱり最高だったんだな……!と確信した。

手を繋ぐには、誰かが必要だからね。てのひらは相手がいて完成するお歌。

そして私は今剣の幻覚を見ていた。

女の霊を斬った逸話を百個目に語ろうとして止められて歌った歌が、今回歌われたの、尊くない?

すごいなんか尊さが爆発してびっくりしちゃった。

2017で逸話に対して悪い意味で執着してすらいた青江が、単騎で逸話からの解放、負の感情からの脱却ができると言うタイミングで「てのひら」も歌われるとグッと尊さが増すんですよね……。

ちなみにてのひらはお蔵入りしたみほとせの青江曲ではなく、らぶフェス書き下ろし曲です(定期)

2019年までの青江と、単騎の青江は明確に精神性が変わるから、これまでの歌を歌っていても、その気持ちがその時までとは異なる。と言うのがすごく大きいんですよ。

だから過去曲を歌っていても、今までと響き方が明確に違ったと思います。

というか今まで明確に青江の感情という面をはっきりとさせて歌っていることがなかったと思うので、そういう部分でも今回の単騎は青江の感情や内面というものを明瞭にした上で過去曲を歌ってくれたのが本当によかったんです。

 

修行に旅立つ前に本丸のみんなに一声かけられる。そういうシーンがあるんですけど、いやぁすごいなあ。

ひとりひとりと一言ずつ言葉を次々と交わしていくんですけど……もう人数がすごいな、と。

あと、江は名前出なくても滅茶苦茶わかりやすくて笑いました。

松井くん本丸にいても鼻血出してんのね笑笑

あとメガネのセリフは明石に言ったやつでいいのかな。

ここはもっとちゃんと吟味したいな。

畑はとりあえず桑名くんに任せておけば絶対大丈夫。

兄弟仲良くは誰に向けてのセリフなんだろう……?

浦島くんは修行に行く青江に亀吉を同行させようとするの何?w 可愛いんだよなあ。

椿油の会話もあった。れっすんは戻ってきてから一緒にやってくれるかもしれないね。

梅干しという単語はインパクトがあるよね。

新撰組の話は誰としたのかな?

心覚で水心子が言っていたセリフも聞けるよ。

 

一緒に笑うことならできる。

そう言った青江が自らを指して一緒に笑うことしかできないとドツボにハマっていくのが新鮮であり、こうした青江の姿を見たかった!と膝を叩きたくなった。

自分が表面上でしか笑うことができない。

そう悩み、そして修行に出て多くの笑顔に触れながら、戦いを重ねていく。

一人芝居ですから時間遡行軍はプロジェクションマッピングで左右のスクリーンとなる天井から垂れた大きな布に映るだけになります。

なんと青江中傷になります。

なんと青江、真剣必殺のセリフも言ってました。

ここの戦闘は本当に胸が締め付けられるほどの狂気的とも言える苦しさがありました。

がむしゃらと言うよりもやけくそのような。

戦う時に「無心で戦える」と言葉にしてから「無心ではいけない」と自身の戦い方を否定して、強さを求める青江。

本当にどんどん余裕がなくなっていくのがすごかった。

みほとせでの石切丸の「あちら側の力」への言及も久々にあった。

石切丸でも誰かを守るための力を手に入れようとしてあちら側に引っ張られてしまう。ではどうすれば自分は強くなれるのか?

そう考える疲弊しきった青江が真っ直ぐ自分の位置から見えていた。

寄りかかって座り込んで自問自答を繰り返す青江を見ているのもヒリヒリ、ハラハラした。

そして時間遡行軍を倒したと思ったら、別の声が……。

 

幽霊さんが現れた!

最初開演前のスクリーンにいた幽霊さんは日本画っぽい幽霊さんだったと思ったんですけど、ここでスクリーンにちらりちらりと映った幽霊さんに気がつく(最前なのでどうしても左右にある布スクリーンは見ようと意識しないと視界に入らない。特に上手の布はそう)と「あれ、人間っぽいな?絵じゃないな?」って気がつく。

そしたらまああらやんがそのまま幽霊さんをやっていらっしゃった。

ここからが一人芝居の真骨頂という感じ。

スクリーンに映っていた幽霊さんが、斬ったその時からずっと自分と「いる」ことに気がついた青江が右目を見せた瞬間に、舞台全体に赤い目の映像が瞬間的に映し出されて暗転→からの幽霊さんの笑い声がずっと響く演出に対して「あまりにもホラーすぎんか?大丈夫か?ホラー苦手な人にホラー注意って言わなくて平気か?」とちょっと心配になってしまったのは余談。

そしてこの笑い声響く中ではけた青江はお着替えタイム。

振り乱した髪。白装束を右半身にだけ纏い、女面を右半面だけつけた姿で飛び出してくる青江。

もうここは一人芝居でよくあるやつだー!って楽しさが爆発してた。

ガラスの仮面北島マヤが学校で一人芝居をやってたけどそれと同じ空気を感じる!!って嗅ぎ慣れた匂いに尻尾を振る犬のようなテンションになっていたと思う。

下手を向けば青江のセリフ。

上手を向けば幽霊さんのセリフ。

体の支配権を争うような激しい応酬。

しかし幽霊さんは復讐のためにいるのではないと言う。

でもこの時代ならば、幽霊を斬る前に止められるとも言う。

そんなのは時間遡行軍と、歴史修正主義者と変わらないと叫ぶ青江の苦悶の表情。

面を放り投げて幽霊さんを遠ざけようとしても幽霊さんの声は響き続ける。

幽霊さんに精神的に追い詰められながら青江の言葉は次々と出てくる。

今の戦力では太刀打ちできないから新たな仲間が増える。

その事が嬉しいなんて思った事がない。

自分が強ければ、彼らは刀のままでいられた。そのままでいてほしかった。

八つの苦しみを受けて刀剣男士となる刀たちの苦しみを、青江は想っていたのかな。

五蘊盛苦の苦しみを抱かせたくないと言う思い、優しさからの言葉なのかなと思った。

歌合の挨拶で「無事に新しい子が来て、君は喜んでくれているかな?うん、それじゃあ」と言っていた青江の気持ちが、単騎で確認できた。という認識です。

ばたりとこちらに背を向けて倒れる青江の、倒れた姿は刀剣男士の頼りになる姿とは正反対の姿だった……。

 

幽霊さんとの対立の末に青江が本音を吐露していき、青江の答えが「誰かを笑わせたい」と一番に言われた時、もう泣いた。

光を受けた青江を見つめながら泣いた。

でもそんなの一番に言うなともなっていて、そのセリフを聞いた直後から審神者は泣きながら「君だって笑っていいんだよ😭」となっていたら、青江が「それから……僕も心から笑いたい」と言葉にしてくれたからもうね。もうさらに泣いちゃったよね。

こんなの泣かない方が無理。

これはあれだ。天狼傳で近藤さんを斬ろうとする長曽祢を蜂須賀が殴ってでも止めて、彼が介錯してくれた時と同じだ。

こうして欲しいと思ったことをちゃんと刀剣男士がしてくれたり言ってくれるから、最高ですね……。

だから刀ミュはやめられないんだなあ。

そしてそれを許した幽霊さん。

復讐ではないの言葉は本当だった。

あなたはもう充分強いと繰り返していた幽霊さん。

ライトの関係で幽霊さんが浄霊されちゃったやん。とちょっと思った。ごめんなさい。

 

そしてボロボロの青江ははけて、暗転のまま今度は読み上げが始まる。

そう……極修行の手紙の読み上げだ!!!

う、うわーーーーーーーー手紙に音声がついた!!!!

ここでもなんか感極まって、心臓をギュッと押さえていた。いや無理。もう胸を押さえてないとやばいやつだった。

だってもう暗転して手紙が読み上げられるってことは……もう答えは明白。自明の理。

そして案の定!案の定!!!!

極姿のにっかり青江が、戻ってきた!!!!!

 

極青江の刀剣乱舞

ここも泣きポイントなんですけど、なんと真の山場はこのあとにあった……。などとこの時は知る由もない。

刀剣乱舞でのダンスがもう凄すぎて、白装束あんなに邪魔になるものをよく腕に巻き付いたりしても、最終的には絡まらないで戻るな!?と驚きっぱなしだった。

目の前に立つ極青江の姿は、あまりにも立派だったよ……。

美しい、刀剣男士だったよ……ブラボー。

極青江の前身頃といえばいいのか。あそこにある幽霊込みの青江の紋のきらきらさが本当に眩しいなと思った。

ゲームの演出で帰還すると青白い光が後光のように光りますけど、本当にその演出って過剰じゃない。と思うような眩さだった。

そして何よりもここで刀剣乱舞を歌う青江の声の伸びやかさと力強さが半端じゃないんですよ。

ぐいぐい来るというか、歌声のパワーがそれまでと違うんですよね。

これが極の青江の刀剣乱舞なんだ、とすっと入ってきた。

 

そして真の山場。

あなめでたや歌うなんて聞いてない。

滂沱だよ。フェイスシールドのせいで涙拭えないからセルフモザイク状態でステージを行き来する青江の姿を見上げながらべそべそになってたよ。

歌合で、厳しい表情のまま桑名くんと松井くんの顕現を見守っていた青江がきらきら笑顔であなめでたやを歌うのはダメでしょ……泣いちゃうって。それだけで感極まっちゃうんだって。(情緒ジェットコースターか?)

戦力が増えることは良いことばかりではないと言った青江が。

みんなが刀のままでいられればよかったのにと考えていた青江が、極の姿で笑って、歌合の時の表情とは比較にならないくらいにこやかにあなめでたやを歌えるようになった成長が凄くないですか!?

この一時間二十分に込められたものが強すぎて、あなめでたやで手拍子をしながらよかったよかったおめでとうと言う気持ちが高まって高まって、涙が止まらなかったです。

素晴らしい舞台を、ありがとうございます。

そして来年まで、この公演を頑張ってください。

 

 

 
 
 
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*ここからは蛇足あるいは分解*

感想を書き散らしていて一晩経ったことも相まって、どうしてこんなに青江推しでもないのに単騎で泣けたのか。その答えの一つが自分の中で見つかりました。

「誰かを笑わせたい。そして自分も笑いたい」

この答えがもう全部だったんですよね。

私にとって演劇、特に刀ミュという存在は私たち観客を笑顔にしてくれるものだけど、同時にそれに携わる人も笑顔になってくれるものでいてほしいと、多分漠然と無意識に思っていたんだと思います。

2020年のパライソが次々と中止になっていく中で、私は散々「努力した人たちの努力が舞台の上で報われないのがとてもつらい」と言う旨のツイートを度々していました。中止の度に、彼らが板の上に立てない時間が増える度に悔しさや歯痒さ、どうしようもない怒りだとかがどんどん募っていったのを覚えてます。

刀ミュの稽古がハードであることは初期からも漏れ聞こえてきたものですが、そのハードな稽古を一ヶ月二ヶ月と行ったキャストやそのキャストを支える多くのスタッフたちの積み重ねてきた時間を拍手や歓声で讃えることができないのが本当につらかった。思い出すだけでも泣いてしまうんですけど、このあたりは自己分析として分解を少ししておきたいので書きます。

努力の時間だけ、苦労したつらさの分だけ、報われてほしい。そういう感情が特にパライソの中止期間は強かった。

舞台は、観客や観客でもない外の人間からしたら娯楽の一つでしかないけれども、舞台興行を行う人たちには立派な仕事です。だからキャストが板の上で拍手を浴びた時、同時に裏方のスタッフさん達の努力も報われている瞬間だと思ってるんです。

私は刀ミュに関わった方々に割りに合わない苦労をした作品だったと思って欲しくないと、ずっと思っていて……。

でもそれは作品が打たれる度にブラッシュアップされていく衣装やヘアメイク、小道具、大道具などで答えをもらっていると思っていたんだと思います。

気持ちを言葉で表現するのはとても難しいんですけど……私は、私が刀ミュで笑った分、この舞台に参加している人たちにも笑顔になってもらいたかったんだと、腑に落ちました。

もっと単純に言えばWINーWINの関係であることが望ましかった。

刀ミュに限らず、どの舞台もそうだったら良い。

でも2020年のあの頃は御笠ノ(伊藤)さんが配信で度々言っていたけれども、今後一年二年は今までのようにはできなくなると言う言葉に、言葉を選ばずに言うなら散々傷ついていた。

私は私自身の命に対して生存欲求が根本的に薄くて希死念慮を元から持っている上で生きている人間だから、自分の生活が変わると言うよりも本当に努力をしている人が報われない、報われる機会を奪われるこの時期に滅多刺しにされていた。

今後数年は2019年までのように演劇ができなくなる、その言葉は全く正しくて、正論だったけど、同時に自分の命よりも尊いものを台無しにされたという感情があったのかもしれない。

でもその言葉はなんの間違いでもなくて、真実でしかないのも理解するしかなかった。それに2021年の5月でこうなのに、あと一年二年で以前の状態に演劇界が戻れるのか?と考えるとそれがとても難しい問題であることも理解できる。

でもあの頃はそのことが本当に比喩でなく死ぬほどつらかった。

結局私が取った手段はそうしたつらさも含めたいろんな感情を制限することで、まあほとんど鬱状態でしょうね。喜怒哀楽の感情全部をある程度上限を小さくすると言う形に収まっていたんだと思われる。振り返ってみても2020年は悲しい気持ちが強すぎて楽しい思い出って何かあったっけ?ってなるくらいに空っぽ。

それでもどうにか生き延びて2021年になった。壽を見た。でもやっぱり感情の幅が小さくなっているから、きっと以前までなら泣いただろうなというポイントがわかっても、一切泣く事ができなかった。

それにどうにか手に入れたチケットも結局払い戻ししなければならないと言う状況も泣くことを自分に許せなかった理由になっていたと思う。

配信を買ったところで体験に勝るものは何一つとして無い。

何よりも配信では受けた熱量を彼らに直接返せる手段が無い。(配信の売り上げに貢献するのとは別の話)

はっきり言ってこの頃は2020年の傷が深すぎて、虚無感が強かったので何に対してもポジティブになると言う言葉まあなかった。

そして大楽の日には最速先行の当落発表で大楽の時間帯はメンタルボロボロになってまた大泣きして傷が深まって壽ムードじゃなくてお通夜モードでしたしね。

そんな状態でもどうにか傷を見ないふりして手に入れた心覚と単騎のチケット。

心覚の感想を見ると多少は伝わるかもしれませんが、私はあれを物語的に咀嚼しようとする向きが強いです。勿論考えるな、感じろと言う部分も絶対的にあると思っているので、わからないところはわからないままでも良いじゃないかとも考えてます。

でも、私自身はそう咀嚼しようとしていても、多くの人が初見で受け取るメッセージってのはあると思うんですよ。

それが心覚ではなんというか、こちら側(観客・客体)へのメッセージ性が強かったと思う。でもそれは私には実の所そんなに響かなかったのは、私だけが良くても意味がないものだったから、なのかもしれない。勿論彼らはセリフで「できることをする」と言っているけれど、私が欲しかった言葉はそれではなかったんだと思う。

では無意味な言葉だったかというと、そうではなく、心覚を通して回復する部分は確かにあったので、見てよかったんです。

ただ私にとってはそちら側(興行者・主体)も含んだメッセージの方が散々苦しんだ2020年への慰めになったんだと思う。青江の僕も心から笑いたいという気持ちにあちら側への感情が慰められた気がした。

青江の言葉だったけれども、役者としての荒木さんの、役者としての気持ちもあったんじゃないかな。あったらいいな。

だからあのセリフに主体性があると、そう思えたんだろうなと。

だからこのセリフが言われる前から私は青江だって笑って良いんだよと心の中で何回も繰り返していた。そして笑いたいと言う彼自身の言葉に胸が苦しくなるほど嬉しくなったし涙が溢れた。

単騎の前に天狼傳のドキュメンタリーを円盤で見ていた影響もきっと大いにあるでしょう。

大半の公演が中止という憂き目に遭いつつ、どうにか映像化されたそれに、特典としてつくには重たいドキュメンタリー映像でしたが。その彼らの言葉を聞いた上で、青江の僕も笑いたいという願いがとても響いたんでしょう。

私は私が舞台を見て笑う以上に彼らに笑っていてほしい。彼らにとって舞台は娯楽と蔑ろにされるものではなく真剣に挑むお仕事だから、コロナ禍が終息した未来では、彼らに笑っていてほしい……。

笑いたいと言うキャラクターの主体的なセリフに、まさかこんなに深く深く一年前の傷を慰撫されるとは思わなかった。

笑っていてほしい。彼らにも。なんなら今この時代でも。

荒木さんの真摯さに、本当に深く救われた気持ちでいっぱいです。

笑っていてほしい。笑ってほしい。

少しでもにっかり青江に触れられた。そんな充足感を掴んでほしい。

二年に渡る地方巡業の果てにあるのが多くの笑顔だったらいいなと願っています。祈っています。

あなたの二年が無駄だったなんて思われたり、言われたりするような代物ではないと、今回観劇した私は思います。

 

2021年5月2日 誕生日ケーキを傍らに添えて