パライソ完走おめでとうございます。
病気降板の方は残念でしたが、今後の健康を大事にしてください。
ざっくりとした感想は前回書いているので、そちらをご覧ください。
今回は前回書かなかった部分メインだったり時間経過で感じたことだったり、ふと見かけた他の方の解釈に触れたりとかになります。
冒頭 おろろん子守唄ー終幕
老人から脱皮して右衛門作が登場するここ。
脱皮があまりにも自然すぎて配信で見てる時は気がつかなくて、現地入りしてやっと脱皮していたことに気がつきました。
老人→右衛門作への切り替わりが舞台上でシームレスに行われていることに意味があるんじゃないか?となった時、老人は晩年の右衛門作解釈を見て一つの納得がありましたね。
そしてそこから私の解釈としてはこの物語の始まりは山田右衛門作の夢なのかな、となりました。
彼の歴史に残された人生の山場を老いた右衛門作が走馬灯のように夢見ているのが、脱皮からの始まりかなあと。
そしてそんな夢みる晩年右衛門作という前提でいった時に、ラストの人間たちが農民も武士も笑ってるラストへのつながりがまあまあ不自然じゃなくなるのかな?とか思ったり。
ラストこそ右衛門作が夢みた、虐げられるもののない、彼の息子も生きて笑っている、宗教による分かちもない夢のような最後になるのではないでしょうか。
冒頭の兄弟たちは乱に参加した子ではなく、無垢な子供の象徴と解釈。つまり誰かの子供であるし、誰かの孫であるし、右衛門作にとって子供であり孫である……みたいな存在。
正直この解釈だと右衛門作はこの夢を見て死んでるんだろうなあ……ってなる。
でもこのラストはほんと、現実ではないし、かといってパライソの姿でもなく、ただ一人の男が死に際に描いた夢なのだと思う。
となりました。
人間サイドの時に聞こえた音
秒針の音。
時を刻む音。
時計が進む音。
意味深。
素直に解釈するなら歴史の通りに物事が進んでいる、という意味かなと思う。
刀剣男士の介入なく、人間だけで歴史通りに進むべき形で進んでいる音?
パライソ讃歌 日向正宗
合言葉はパライソ 自由を
合言葉はパライソ 掴みに行くのだ
ともにパライソへ
豊臣の世を掴みきれなかった石田三成の刀なんですよ。
そして日向くん自身はこの乱がどうなるか知らないわけではないようだし……。
掴めないものを掴みに行こうなんて、あんまりだぁ……泣
浦島くんと違ってなにも知らないわけでもないのに、この言葉を歌ってるからより、人間に群がられる姿が宗教画として完璧になってしまう。
鶴丸VS板倉内膳正
古風に一騎討ちの名乗りを上げているのなによ〜!
やあやあ我こそは〇〇!何某殿とお見受けいたす!じゃんかね〜!
実際には一揆勢による銃弾の直撃で死んでいるらしい。
そんな人を、自ら討ちに行く鶴丸国永。
そういう責任の果たし方をすることを選んでいる。っていうことですよね。
本物の天草四郎が率先して戦場に出るはずもないのに、天草四郎として人間を率いるという覚悟の結果がこれ。
三万七千の人生で気持ちを押し殺して歌っているのを見れば、まあ覚悟が決まってるのは分かりきっているとはいえ、わざわざ一揆の民衆の命を背負っているところに、板倉さんの死まで背負うの、ちょっと自分を追い込みすぎじゃない?
だから大倶利伽羅も心配するんだよ。
豊前と鶴丸
松井が血にこだわる理由もわかってんだろの件。
豊前が「あんがとな!」って言ってるのを信じられないものを見るような顔で見ている鶴丸。
鶴丸はきっと豊前からも責められるくらいの覚悟があったのだろうね。
でもそこで豊前から飛び出してきた言葉が感謝の言葉で、きっと今松井にとって必要なことだったと肯定されることにびっくりしてるよね。
大倶利伽羅という理解者がいて、予想外に豊前という肯定者もいたの、鶴丸にとってはよかったんだろうけど。
それはそれとして豊前がしっかり赤に染まっているので、気持ちが複雑骨折しちゃうね。
山田右衛門作と天草四郎
右衛門作、予言の子として天草四郎を担ぎ上げ、時間遡行軍に人間の天草四郎は殺されてしまう。
その直後に刀剣男士たちが天草四郎を名乗るわけだけど、結果的に右衛門作が一緒にいた時間が長いのって刀剣男士のほうなのでは?
そもそも人間天草四郎を右衛門作はどう見ていたのか、という話なんですが。
殺された第一声が「我らの光が」な時点で神輿にしてる感すごい。
自分の家族の命が懸かっているからこそ、天草四郎という一揆の旗頭がないといけないのわかるけど……右衛門作、実はそんなに天草四郎に人間的な感情を持ってなかった可能性。
というのがチラッと私のなかで浮上してきたので、囚われてからの鶴丸と右衛門作の会話後の「しろお……しろぉ……しろおおおおお」っていう慟哭は、鶴丸を呼んでいるというのが強まりましたね。
何よりもあそこは鶴丸の「右衛門作、長生きしろよなあ」の呼びかけも宮城では甘ったるい感じが強まっていて、それを受けての嘆きがより強まって感じました。
突き放されて、自分を語ることも許さない天草四郎(鶴丸)だったけど、多分、人間の天草四郎よりも長く一揆勢の旗頭として動いていた彼に、毒のように死ぬことを許されなかった右衛門作の嘆き。
厳しい天草四郎であった。
知恵伊豆
なんで撫で斬りなんだ?→後悔だ
一国で、民を導くべきものが民を虐げ、その結果、多くの血が民にも武士にも流れた。その悔いを忘れないためにも絞めなければならないものがあった。
戦を知らない若い世代の武士も血が流れるとは、どういう意味なのか、知り、その恐ろしさを抱えなければならない。
真面目な人だねえ。
事前にどうにかすることもできなかった後悔。
まあ徳川家康がなんと言ったところで子守唄の響く世でも戦は起こるし飢餓も絶えない。それが江戸時代。
誰も教えてくれない
兄弟のお歌なんだけど……。キーワードとして境界線とか命の見分けかたとか、心覚にしっかり繋がっているものが聞こえますね。
他人と僕の命 その境界線の引き方を教えてください
誰もが教えてくれない大切なことなに一つ
生きるその意味 死にゆくその意味 教えてください 教えて
この歌があって、そして心覚の「はなのうた」へと繋がるわけですね。
これこそまさに「戦場に散る無数の種」……ですね。
背景で血飛沫の花びらを散らしているのがまた、宗教画感強強。
そしてちゃっかり登場する松井さん。
後悔、忘れないための血という記憶。
戦う者の鎮魂歌
成長した弟(推定)が無手で踊るんだけど、さすがヤングシンバ経験者。指先の伸びが真っ直ぐで綺麗。
それでいて刀を持ってる皆さんと同じ動きをしているから、目に見えない刃が見えるようだった。
現地では彼をひたすら追いかけて見てたんだけど、本当に動きが一つ一つ決まっていて……芯があった。
多分普通にダンスしても体幹いいから綺麗に踊りますね、これは。
担ぎ上げられてる時に真っ直ぐ上半身伸ばしてるところからも体幹ばっちりなのは伝わってるんですけど、本当に彼の手の振りのキレはかっこよかったです。
刀がなくてもすごかった。
Free Styleの歌っていないタイミングで下手にいる鶴丸や松井が下手側にファンサしててくれてて、わぁ〜ってなりました。
特に松井は私の斜め前の松井推しの方にファンサしてたと思うんですよね!!
サイドシートの角度で、目線の角度的に後ろではなく前方列を見てる感じだったので!!
ちょうどそのあたりって六本つけてる松井推しさんその方だけだったと思うし……個ファンサの気配に鶴丸と浦島のペンラつけていた私はふふふっ☺️てしながら見ちゃいました。
やはりファンサは良い。マナーを守っている方へのファンサは気持ちがいい。
鶴丸は下手側のあちこちにお手振りファンサしてたので、頑張ってるなあって思いましたね。
下手席でよかった。
心覚の感想も合わせてどうぞ。いや別に大したこと書いてないんですけどね。
パライソ見たことねーんだわってなってる感想が見られます。
ちなみにパライソみてから心覚に触れるとやっぱり感じ方が変わりますね。
端的にパライソを履修した結果、「あの子」を無辜の民の概念と受け取るようになった結果水心子の「きっと、そこで頑張っている子だと思う!」のセリフが違う形で刺さり、泣きましたね……。
過去も未来も今も含めた、名前があるけど歴史に残らない存在全肯定水心子……。
となりましたとさ!
へへっ……心覚、やっとしっかり刺さったぜ……。