劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを見た感情
ネタバレがないわけないし、原作小説既読なので原作小説のネタバレもガンガンしてる。
冒頭からアン・マグノリアのその後でした。
いやまさかアン・マグノリアの話来るとは思ってなかったからまさかまさかの娘と孫の関係から始まるなんてびっくりしたし、もうこの時点で泣いてたからね。涙腺脆弱すぎる。歳かな?
でも娘大好きなアン・マグノリアは「わかる」しかなかったし、おばあちゃんはもっとお母さんと会いたかった・一緒にいたかったんじゃないかなって代弁する孫(デイジー)のアン大好きっぷりに歳を重ねてもアン・マグノリアはそのままだったんだろうなあってしんみりしてしまった。
しんみり不可避。
お母さん(医療従事者)に対して素直になれないデイジーが、アン・マグノリア宛の手紙を読んだことで自動手記人形に興味を持ち、ヴァイオレット・エヴァーガーデンの足跡を辿る……という感じの始まり方。
アニメ設定では18歳でヴァイオレットはCH郵便社を辞めているという。
原作ではそもそも少佐生存でそのまま陸軍大佐になっていて、ヴァイオレットから逃げ隠れしているという状態だったわけだが、アニメではホッジンズもディートフリートも完全にギルベルトのことを死んでいるものと思っているだけに、この映画でどのような再会を果たすのか。そればかりが気になっていた。
いやもう結論を真っ先に書くと
ギルベルトとヴァイオレット結婚したわ……。(スタッフロール途中で立つな)
ですよ。ありがとう。二人の結婚式を見せてくれて👏(強めの幻覚を見ているオタク)
これ原作小説のエヴァーアフターでも言ってなかったっけ?って感じがするけど、本当に2人が結婚式を挙げてくれたことが嬉しすぎて何度でも言いたくなるのよ……。
結婚式見せてくれてありがとう……と。
では内容の詳しいところを書いていきます。ネタバレしかないし既にネタバレしてたわ。
登場人物
ヴァイオレット・エヴァーガーデン→外伝の後なので17歳〜18歳の間
ギルベルト・ブーゲンビリア→隻眼隻腕になりそのまま未帰還兵であることを利用して雲隠れ。ジルベールという偽名を使用
クラウディア・ホッジンズ→過保護枠。過保護に磨きがかかってませんかねぇ
ディートフリート・ブーゲンビリア→弟が死んで(生きてる)母親も死んでしまったせいか、性格がだいぶ丸くなってる。ヴァイオレットに対しても当たりの厳しさがなくなった。弟のために家督を継ぐ気持ちが固まった人
ユリス→依頼人。末期のなんらかの病気の患者
デイジー→アン・マグノリアの孫。ヴァイオレットの道を辿る旅をする
海への感謝/慰霊
海に感謝するお祭で海への讃歌を書いたヴァイオレット。
早速ライデン市長さんたちに人形だとか色々言われたあとで手紙を綺麗とか言われるが、書いた手紙がそうであることと自分自身の外見の因果関係はないとか言っちゃうところとっても好き。
ちらっとフリューゲルのお二方も登場。
王位を継いだダミアンの宣誓文書もヴァイオレットが手掛けたとか。外伝の特典冊子で結婚後のドロッセル王女のお話あったから、なんかじわっとしたというか。裏ではあんなに苦しい思いをしていてもその華々しさが翳ることはないんだな……という感動みたいなものがあった。
この讃歌はここでは読まれませんが、後々のシーンで敵国に占領されていた地域で読み上げられているので、戦争による勝者が誰か、はっきり出てるなあと思いましたね。
ディートフリート・ブーゲンビリア/時代の変化
戦争が終わってどんどん時間が経ち、そうして世界は変わっていくという描写は外伝の時にもありましたが、今回はより強烈な感じがした。
何しろ電話というアイテムが登場したんですからね。
電話の登場は本当に驚異的ですよね。情報伝達速度が段違いに上がりますから。
デイジーのような孫世代にはもう【ドール】という存在ですら認知度の低い存在になっていたことを考えると急速に自動手記人形も廃れていったのでしょうね……寂しいね。
そうした時代の変化の中でブーゲンビリアのお家は夫人が亡くなり、ヴァイオレットは月命日にお花を供えるのが習慣になっていた。
原作では妹たちもいるのですが、アニメのブーゲンビリア家はちょっと寂しい感じですね。
ディートフリートも家には戻らずですから。それでもお母さんのお墓参りちゃんとしてるから、この人情は
ちゃんとあるんだよね……。
でも父親に対して拗らせた結果ブーゲンビリアの家という全体に対する感情がややこしいことになってしまった……。
でも本当に本当に大佐丸くなった。
最初にヴァイオレットによって部下を皆殺しにされて怒り心頭で憎悪と嫌悪の混じった状態から脱却した結果、なんかもうなんでこの人に恋人いないの?ってなります。
しかし自分ができないことをヴァイオレットに言っちゃいかんですよ。
忘れられる程度のものなら、とっくに忘れてしまえてるんだもの。
武器から人間に作り替えてくれた人を簡単に忘れられるわけがないのだよね。
弟大好きディートフリートだって忘れられてないんだからね。
でも本当にこういうことを面と向かって優しい言葉で言えるようになった変化が喜ばしい。何目線だって感じだけど笑
しかもそのあとにはヴァイオレットが落としたリボンを届けるという紳士ぶりを発揮している。
いやあ彼の育ちの良さがちゃんと出てますよね!
ホッジンズはヴァイオレットの保護者意識強すぎて結果的に過干渉気味になりつつあるところだな、と思いました。
戦死した親友の頼みであり心残りであろうというのが彼のきっかけだとは思いますが、流石にね。
だからこそベネディクトが過保護過保護プライバシーと言ってくれてるのに「良心!!」って感動しちゃう。
ベネディクトのそういうちょっと素っ気ないくらいのところが良い。
今回ベネディクトの登場はそんなに多くないんですけど、アニメ版での焼きそば好きなところが出てたり、外伝でおねだりしたバイクが出たり、先述した良心部分の役割だったり、昇進への道が見えたりという細かいところで味のある役割を持っていたなあと思います。
テニスでラリーするなら女の子としたいっていうベネディクトくん。おっさん相手にならさっさと終わらせるその切り替えの良さもやはり良き。
ディートフリート大佐はすっかり性格面での問題が改善されたので本当に言うことがないというか……。
悪いことを言ったと思ったらちゃんとそのことを謝罪できる大人になったので……。
船を処分するからその前に形見分けという気を利かせた姿にはもう。言葉にならない。
そして少佐の物ならなんでも貰えるだけで嬉しいヴァイオレットの表情は胸に迫るものがあった。
市長や親しい人に褒められたりしてもヴァイオレットはあまり表情が変わらないし、変わっても控えめな微笑という感じで。ギルベルトに関することとは表情が違うんですよね。
もう必死さが違うんだなって一目でわかる表情。その差が明瞭で、またこの映画全体を通してもヴァイオレットの表情はとても多彩でした。
あとちょっとユニークなところも見えましたね。
大佐が子供の頃にかぶっていた帽子を「これも、少佐の……」と訊きながら愛しそうに手に取ったヴァイオレットを振り返って「いや、それは俺の」と言われてソッとテーブルに戻すのはとても笑いたかった。
あそこはディートフリートもなんとも言えない絶妙な表情に見えた笑笑
この船のシーンではギルベルトが本当に死んでいたらディートフリート×ヴァイオレットもありだなって思いました。そんな気持ちを片付けてくれるのが映画館特典小冊子のIFです!(ダイマ)
IFはディートフリートがヴァイオレットをギルベルトに押し付けなかったらというIFストーリーになります。興味のある方はぜひ映画館に足を運んでゲットしてください。
余談ですが私はベネディクト・ブルーの菫が3冊あります!!!!(ランダム配布の呪い)
ディートフリートの回想で2人の父親が登場。
完全にどっかで聞いたことのある声で笑っちゃいました。ひぃん。HF見てたせいでこんなことになるなんてな!
ブーゲンビリアの当主として威厳と力を感じる人でしたね。
子供であるギルベルトがひいひいあとを追いかけているのを一顧だにしない姿は、確かにディートフリート
が反抗心を持つのも頷ける物でした。
炎天下の中、強い日差しに負けず父親のあとを一生懸命追いかける弟に帽子を被せてあげるその姿は確かに
お兄ちゃんだったし。帽子を被せられたちびギルベルトくんの表情は確かに素直に兄を慕う弟のものだった。
もう既にひねくれ始めた兄は弟のその表情から顔を背けてしまうけど、それでもちゃんと兄弟だったね。
依頼人
今回のお手紙依頼人は入院患者のユリスくん。
ちょっと小生意気なクソガキかな?という印象。
でも自分の死期を既に悟った少年の焦りだった。
3回の手術。それをしても治らない病気。一年の入院。
冬が来る前に冷たくなってしまうと、如実に未来を描く子供。
この子の手紙を書くあたりから客席でじわじわ鼻を啜る音が聞こえてくるようになりましたね。わかるよ。
アン・マグノリアは親から子へのお手紙。
ユリスは子から親へ、弟へのお手紙。
下の子へ素直になれないお兄ちゃんなのはディートフリートと一緒ですね。
そして電話の登場によってユリスはリュカくんへの伝えたい気持ちを言葉にして伝えることができた。
友達が心配で、でも会いたくないと面会を断られていたリュカくんの気持ちがあの電話で報われたと安心したシーンだった。
ギルベルト・ブーゲンビリアの人生
父親に反抗的な兄がその反抗心に従った結果、陸軍の名門ブーゲンビリアの家名を持ちながら、長男であるディートフリートが海軍へと進んでしまい、家名を背負う者の責務が次男であるギルベルトに全て回ってしまった。
そして兄が九死に一生を得た果てに手に入れた殺戮のための武器を押し付けら、武器として戦争に投入した。
その中で名前を与え、言葉を与え、知識を与え、最後に「愛してる」を与えた。
片腕と片目を失い生き延びたが、世界をさすらい、帰る場所に帰らないことを選んだのがアニメ版設定。
原作小説ではヴァイオレットの両腕に義手がついたのを見て、すっかり絶望してしまいヴァイオレットが平穏に生きられるようにするために陸軍で地位を高め、磐石なものとすることを決めた。ヴァイオレット同様に失った右腕には義手をつけて陸軍大佐になってます。
設定がだいぶ変わってはいますが、それでも根幹にあるヴァイオレットに対する負い目や後悔、愛しい気持ちは変わってないと思いました。
アニメ版設定をより拗らせて煮凝りにしたのが原作設定という印象です。
映画でも彼はヴァイオレットと最初は会わずに、ホッジンズから大馬鹿野郎と罵られますが……彼、拗らせちゃってるから……。原作だと同じライデンシャフトリヒにいながらヴァイオレットに見つからないようにと、隠れ家を次々変えていたという念の入れ具合です。完全に拗らせてます。
大好きで、愛しくて、愛しくて、自分が人生で持つ愛情の全てを他人に向けるはずの分まで全てヴァイオレットに向いているから拗らせ方が親友や家族でもなかなかどうにもできないやつだった。
アニメ版はまだ素直ですよね、そのあたり。
それは多分ディートフリートが一度は弟を失った気持ちになったこと、母親が既に亡くなってしまったことなどから性格が丸くなったため、家督を継ぐ覚悟ができたこと。
ヴァイオレットからの感謝の手紙。といった要素もあるでしょう。
周囲の人々の環境によってアニメギルベルトはあのシーンで走り出すことができたと思います。
情けないくらい息を切らせて走って、転がり落ちても、涙を流してても、ギルベルトの持つアニメ一話から見せられていたヴァイオレットへの「愛してる」は深くて大きいからこそ、情けなくてもいいんだと。ちゃんと二人の愛してるが結びつけられたから、遠回りしたことも馬鹿野郎だけどしょうがない。みたいな気持ちになります。
ギルベルトがヴァイオレットが幼いときに美しいもの慈しむ気持ちとかをもっと感じさせてやりたかったと悔恨を語るんですが、もうこの辺りはすごく殴ってでも何言ってんだ!!って説教したくなりましたよ。
ヴァイオレットは機械のようだったけれど、表現するための手段がなかっただけで、幼い彼女の心を目を捉えるものはいくらでもあったんだから、それをギルベルトが否定するな!ってね、なっちゃうよ。
同時にそんなものはこれからどんどん二人で共有していけ!ともなりました。
もう最後の手紙を読んで再会の間に流れるTV版エンディング「みちしるべ」の♪あなたの声が道しるべ♪と流れ出したところで涙腺決壊なんですよ……。
ネトフリでエンディング飛ばしてた方は本当にちゃんとエンディング聞いてください!もしくは歌詞見てください!Apple Musicにもあるよ(ダイマ)
少佐から愛してると生きなさいという言葉をもらったヴァイオレットにとても……良い歌です。
そしてヴァイオレットからの手紙を受けて、ギルベルトもまた進むべき道を見つけたのだなと思って……。
というかそもそも「みちしるべ」の歌詞がどちらかというとギルベルト視点に思えて、なんかもうやっと自由に飛べるようになったんだなって感動の涙が止まらなかったな。
ブーゲンビリアの家、陸軍少佐という地位、ヴァイオレットの上官、武器の監督者。そういった柵から解放されるお話でした。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンの涙
多彩な表情、変わらない表情にあって声の変化。些細な動作の一つ一つ。そうし積み重ねが映画の中にあった。
少佐に会いたくないと言われたと気がついた時の右足の動きだけで現れた動揺だとか。
少佐が生きている可能性があると判明して現地に行く時の少佐は自分がわかるのか、何を言ったらいいのか、外見におかしなところはないか。そうした不安を抱えるのが完全に恋する少女のようで、焦がれ続けた相手に会えるかもしれないというチャンスを前にして機械のようだった少女が不安がる姿を見て人間になった。と強く感じられた。
最愛の人のことを考えると幸せだし、不安にもなるヴァイオレットがとても愛しい。
そして最後のギルベルトの前で思うように言葉が出ない大泣きするヴァイオレットに、やっと人間としての産声が上がったように見えた。
TVアニメ一話で行く宛もない手紙が病室の窓から飛び去っていった。そこからギルベルトの手にあったヴァイオレットからの手紙が飛んでいくのも個人的泣きポイントだった。
行く先もない、受け取るべき人もいない手紙が頼りなく飛んでいくのとはわけが違うじゃないですか。
病室で来ぬ人を待ち続けるヴァイオレットが送るべき言葉を受け取るべき人にきちんと届けた上で、正面から抱きしめられる姿を目一杯祝福したい。
その流れからのスタッフロールを経て、指切りをするヴァイオレットとギルベルトの姿なんて、これもう結婚式じゃん。拍手して立ち上がっておめでとうって声に出したい日本語叫びたいよ。
エンディングでの過ちを犯してもとか歌詞があって、市長に言った台詞もそうですが、ヴァイオレットは自身が戦争の道具とし武器として使われ、人を殺してきたことを美化することを許さないんですよね。
事実は事実として認識されるべきだし、守られた命があるのと同様に命を守るために奪われた人々が大勢いることを見過ごしてはならないと。必要以上に背負ってるわけじゃないけど、軽視もしてないヴァイオレットの生き方の歌でありながら、未来も見てるなって思ったんですよね。
だからもうスタッフロールなのにボロ泣き。
私はヴァイオレットがギルベルトの腕の中でやっと声を上げて泣けたことに満足です。
TVアニメ版から劇場版二作で、やっとヴァイオレット・エヴァーガーデンは産まれて、立ち上がって、進んでいけるんですね。
映画の冒頭、sincerelyの文字。
そして冒頭と最後に轍のある道を進んでいく映像。
ヴァイオレットが進んでいく道であり、私たちが進む暗くても確かにある道でした。
パンジーの花言葉
紫は「思慮深い」「あなたで頭がいっぱい」
パンジー全体は「物思い」「思い出」